コミュニティ内政治と孤独(教祖、信者、いじめ、義務教育)
諸君はコミュニティに属しているだろうか?
学校、クラブ、サークルなど多岐にわたるが、どれも入りたくて入っているのだろうか?
コミュニティの強制力と向き合い方について話したいと思う。
日本の中高生は狭いコミュニティに縛られがち
日本のコミュニティの中でも特に異質なものとして、中学校と高等学校が挙げられる。
この六年間は家族と予備校、アルバイトなどを除き、学校以外でのコミュニティが全くと言ってい良いほど欠落する時期である。
席替えやクラス替えはあるものの、クラスコミュニティは絶対のものとなる。
教師が絶対的(になれない雑魚もいる)な立場となってヒエラルキーを形成する。
また、部活動もほとんどの生徒が加入していたと思う。
学校によっては強制的に部活に入部させられ、退部するものならば人格攻撃も厭わなかった(個人談)。
中高一貫の学校であれば、基本的なコミュニティは6年間変わらないのである。
正直言ってこれは異常だ。
アメリカなどの外国では、時期によって所属する部活動は変わるし、そもそもいつ加入していつ離脱しても構わない。
嫌なら辞めるし、楽しければ続けるだけことなのに。
だから大学院生にもなって不登校になるヤツがいるのか(苦笑)。
ちなみに中国の小学校に通っていた学生に聞いてみたところ、いじめなど存在していなかったとのこと。
中国の子供たちは日本の比でなく勉強している。
北京大学や精華大学に入るために必死だ。
ゆえに彼らはいじめなどする暇はないからいじめは起こりようが無い。
いじめとはヒマ人がする足の引っ張り合いなのだろう。
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政治的正解と本質の乖離
コミュニティに所属していると必ずと言ってよいほどいじめやハブられがある。
発言力がある人が絶対的存在となり、気に食わないヤツは差別や嘲笑の対象になる。
それが道理に反することだとしても、だ。
これこそが閉鎖されたコミュニティの問題点である。
コミュニティ内での正解は多数決によって決まる。
それも発言権のあるヤツが放った正解に周りが群がり、少数派は駆逐されていく。
大多数は本当に正しいかはどうでもよく、ただ多数になりたいだけなのである。
そこに個人の意思はない。
政治の世界も同じである。
本当に良いことと票をたくさん入れてもらえるマニフェストは全く異なる。
正解かどうかではなく、多数派(老人)にとって都合がよいことが政治的正解となるのである。
まずは個人の意思を持つこと。
他人の脅しに屈しないこと。
孤独を受け入れること。
本質を見抜ける人間はいつだって少数派である。
大事を成し遂げたいのなら群れてはならない。
孤独を受け入れる度量が無い人間は、愚痴をこぼしながらいつまでたってもコミュニティを抜け出すことはできない。
孤独を受け入れられない人間は盲目的に宗教を信じる
では、なぜそこまでして多数派になりたがるのかと言うと、群れから追い出されることが怖いからである。
本当はより良いコミュニティがあるのかもしれないのにそれを探そうともせず、既存のコミュニティで最善の立ち振る舞いをせねばと思考停止するから多数派になろうとする。
そのような人は他人の尺度に躍らされ、利用され、最後は宗教にハマる。
というのも宗教は自分で考える力を失ったものが行き着く場だからである。
集団圧力に屈して入信する。
コミュニティから逃げようとはせず、お布施や布教活動を見返りなしに行う。
宗教のトップが言うことを無条件で信じる。
開祖した宗教のリーダーは宗教のことなど信じていないというのに笑。
ちなみに鎌倉時代に流行った宗教として仏教がある。
南無阿弥陀仏と唱えるだけで誰でも無条件に極楽浄土に行くことができ、禁欲も修行も要らないと噂となり、爆発的に普及した。
しかし、本来の仏教は厳しい修行と鍛錬の日々であり、今でいうエリート御用達の宗教であった。
お釈迦様が本当に南無阿弥陀仏と言ったのだろうか?
結局一般受けする宗教は努力ができないバカがハマるのだ。
赤信号をみんなで渡りたいのか
このような人間が起こした最悪の事件が地下鉄サリン事件である。
常識的に考えれば地下鉄にサリンをまき散らかすことが人道に反していることが分かるはずである。
しかし事件は起こった。
動機はいまひとつわからないが、尊師が命令して手下たちが実行したことは間違いない。
ヒトは考える力を失うと、いい年の大人がこうもバカげたことをするのだと再認識した。
他人に意思決定をしてもらうような人間はいつか大きな過ちを犯す。
復活するオウム真理教 地下鉄サリン事件20周年に問う (朝日新聞デジタルSELECT)
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日本の教育はGHQに支配されているに過ぎない
アメリカは神道が日本人の強さであると考え、恐れていた。
この文化により日本人は精神的な強さ、盲目的にならずに主体的に生きていく逞しさを兼ね備えることができた。
だからGHQはその文化を禁止にして、消滅させた。
教育方法も一新された。
自由でエリートな人材を育てる旧制中学や旧制高校の制度を取り壊し、ただの教育機関に成り下がった。
日本人の考える力を奪うことで、どうにか国力を減らそうと躍起になっていたわけである。
都合の悪い内容は検閲され、物事に対して深く考えることを止めさせるためにマスメディアや映画などの娯楽が盛んになった。
本当に賢い人間は先生(大学除く)にならない
旧制中学の時代は偉大な思想家の方々が教鞭をとっていた。
生徒のためを思い教師を志望している志が高い方は是非ともペスタロッチの本を熟読すべきである。
教育において教育指導要領通りに伝えるマシーンは不要である。
死ぬまで生徒のことを考えられる人格者こそ教育界に行くべきである。
そのような指導者の元で、日本を支えるエリートにはしかるべき教育を受けていたというわけである。
しかし、今の教師は教育学部を中心とした学生が大半であり、大して知恵や能力もない。
それなのに公務員は安定だと短絡的に入り、なあなあで教鞭をとっている身分だ。
はっきり言って御三家に進学するようなレベルの小学生は公立学校の教師のことを頭が悪くてしょうがない奴だと考えている。
そんな教師ばかりだから指導要領に従い、どうでもよいルールによって採点が行われる。
そのようなエリートたちを飛び級させず、才能の芽をつぶしている国日本。
皆さんはどうお考えだろうか。