靴を履くならこんなふうに①
ヒトはいつから靴を履くようになったのだろう?
ウィキペディアによると5500年前からあるらしい。
人類が何時頃から靴を履き始めたのかは定かではない。現存する最古の靴は2008年にアルメニアの洞窟で発見された紀元前3500年ごろの革の紐靴とされている。
また、エジプトのピラミッドからは、紀元前2500年ごろの鼻緒の付いたサンダル形態の物が発掘されている他、ツタンカーメン王の墓からは黄金で出来たサンダルが出土している。
ではヒトは何故靴を履くようになったのだろう?
靴を履くことによるメリットデメリットはないのだろうか?
考えてみたい。
現代人が靴を履く理由
われわれ現代人は誰に言われることもなく靴を履くように育てられ、生きてきた。
ではどうして靴を履かねばならないのだろう?
一つ目の理由として、道路が舗装されてしまったことが考えられる。
車が快適に走行するためにはなめらかで固い路面が必要である。
しかし、人間の足はアスファルトやコンクリートの上を歩くためにできたわけではない。
固い路面は足裏、膝関節および股関節に強い衝撃がかかる。
また、アスファルトは黒色のため太陽光を吸収することで裸足では歩けないほど熱せられる。
そこで仕方なく足を保護するために靴が必要となる。
二つ目の理由として、路上に鋭利な物が落ちている可能性があり、足を切ってしまうことが考えられる。
ガラスや刃物、消火されていないタバコの捨て殻などを踏むリスクを踏まえた点で保護具となる靴が必要である(注意力さえあれば回避可能である)。
また現代社会のファッションとして靴は重要な存在である。
背の低いヒト、スタイルの悪いヒト、目立ちたいヒトetc.靴による恩恵を受けているヒトも多いのではないかと思われる。
その一方で、肉刺、偏平足、水虫などの靴を履くことによるトラブルもある。
では、靴は履かない方がよいのか?
動物としての足
人類の歴史上、靴を履いてきた期間はごくわずかである。
ホモサピエンスは25万年から40万年前には存在していたと言われている。
生物の遺伝子は長い年月をかけて淘汰、ひいては進化が起こる。
一方靴を履く文化は高々1万年以内の出来事である。
ということは人間の体の構造はあくまで裸足で最適化された構造になっているはずである。
それを五感を用いることを主眼に置いて考えてみたいと思う。
歩くということは紛れもなく触覚(および痛覚)を感じてっているのである。
そして体の中で最も接触を繰り返している器官である。
ということは常に外部環境にさらされるべき器官であり、土の上、砂利の上、砂浜の上、芝生の上などで歩くことこそが脳への刺激になっているのではないか?
翻って靴文化により現代人の脳の退化が起きているとも言える。
つまりそれはどういう意味か?
靴を履くと阿呆(痴呆)に近づくということである。
裸足で講演を走り回ってから靴を履いて歩いて見るとよい。
あまりの感覚のなさに驚く人がいるだろう。
一日のうち、寝るとき以外は常に足は地面に接触している。
そんな中、一日中たいした痛みも感覚もないふわふわした靴を履いてしまっては足がボケてしまう。
SMプレイが好きなヒトや辛い物好きなヒトは間違いなく触覚(痛覚)による興奮を知っている。
それと同様に足裏に加える刺激も人によっては快楽になりうるのではないだろうか?
靴を脱いでみよう
百聞は一触に如かず。
これを見ている暇なヒトは、試しに裸足になってみよう。
公園で裸足になろう
公園には砂場がある、土のグラウンドがある、芝生もあるかもしれない。
そのような環境で靴など不要だ。
思いっきり素足で遊んでみよう。
これを真に受けて、大人が公園で遊んだ場合に不審者扱いされても責任はとらない。
海に行ったら浜辺で裸足になろう
ビーチサンダルを履く人がいるが、何のために海に来ているのだ?
これは自然回帰する絶好の機会である。
裸足で海に入り、泳げば五感がもれなく刺激される。
海辺を足裏で感じる(触覚)、潮風を鼻で感じる(嗅覚)、海水が口に入る(味覚)、波の音を感じる(聴覚)、もちろん景色がきれい(視覚)。
旅行でリフレッシュしたいと思っているヒトは視覚以外の感覚を意識してみるとより一層楽しめるかもしれない。
それらを踏まえたうえでようやく靴を履くという選択肢が出てくる。
それでは、あなたはどのような靴を履いているだろうか?